イースター島の文明は環境破壊で滅んだ 破壊から再生への道を進むイースター島

南太平洋のイースター島と言えば、モアイという巨大な石像群があることで知られている島です。また近年では、イースター島は私たちが地球環境問題を考える上で一つの大きな教訓を与える場所としても知られるようになってきています。

“イースター島は今日の地球が宇宙の中で孤立しているのと同じくらい太平洋の中で孤立していた。イースター島の住民が困難な状況に陥ったとき、彼らが逃げることができたり助けを求めることができたりする場所はなかった。また、当然ながら私たち現在の地球人も、自分たちの問題が大きくなったときに他に助けとなるものを持たない。それらは、人々がイースター島の社会の崩壊を私たち自身の未来に横たわるであろうものの象徴とみなしている理由である。(埼玉大)”

イースター島 ― 謎の島から悲劇の島へ

南太平洋のイースター島と言えばモアイが有名です。モアイ像が建てられたのは中世の頃、日本で言えばおおむね平安~室町時代の辺りなので、古いとは言ってもエジプトのピラミッドのように古いわけではありません。

モアイ像の存在が奇妙なのは、イースター島が南太平洋の島々のなかでもとりわけ外界と隔絶した場所にあり(もっとも近い有人島までおよそ 2000 キロ)、ほとんど木も生えないような島だからです。外界との交流もなく、文明を築くにも適さない環境で、どうやって多くのモアイ像を作ったのか。そこには現代のイースター島の姿に至るまでの長い歴史が関係しています。

最近は中学校の国語の教科書でもイースター島の話題が取り上げられ、「悲劇の島」としてのイースター島の物語は次第によく知られるようになってきました。

もともと人間が島に入植するまで、イースター島は熱帯雨林が広がる自然豊かな島でした。しかし、人間が住むようになると農地を作るために森林の樹木が切り倒され、雨で土壌が流されることで土壌侵食が起こると、食料の確保は困難になりました。巨大な石像を数多く作ることができるほど繁栄した文明は滅び、人口も減ったあと残された人々はほとんど石器時代のような生活に戻っていったのです。

島の森林が消滅した理由は、人間がすべて切り倒してしまったという説と、人間が島に持ち込んだネズミが種子を食べてしまい、木が育たなくなったという説があります。いずれにしろ、人間が環境に影響を与えたことで自然が破壊されたと考えられています。

こうして今日、イースター島の歴史は私たち人類の文明と環境との共生を考える上で大きな教訓を与える物語として知られるようになってきたのです。

現在のイースター島では植林が行われている

イースター島は世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れる。

こうして環境破壊の悲劇を経験したイースター島ですが、現在では観光産業などで人口 3000 人ほどの島の暮らしはそれなりに成り立っているようです(学校や病院、ホテル、テレビ局もある)。

また、近年では島の自然を回復させるために主にフランスやチリ政府の資金援助による植林も進められています。とは言えその資金は十分とは言えないようで、より多くの人々の手助けが求められています。植林が順調に進めば、イースター島もいずれ元の緑の豊かな島に戻っていくでしょう。