教養

終戦直後の東京で作られた「戦場版ニューズウィーク」の知られざる歴史

アメリカのニュース雑誌ニューズウィークは1933年に創刊され、日本語版を含め多くの国際版が出版されています。一方で、第二次世界大戦中、戦地にいる兵士たちのために「バトルベイビー版」と呼ばれるエディションが刊行されていたことはあまり知られていないかもしれません。

「これらの週刊特別版は、通常の雑誌よりも小さく、広告を掲載せず、海外の従軍兵士専用に印刷された。彼らは、最新の戦争ニュース、そしておそらく最も重要であった、アメリカの故郷からのニュースを提供した。」

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戦場に送られた雑誌

戦地に従軍するアメリカ兵向けの雑誌は、兵士のモラルの維持を目的として1942年に作られ始めました。配給された雑誌はニューズウィークやタイムなどのニュース雑誌だけでなく、写真誌やコミックのスーパーマンなども含まれ、ジャンルは多岐に渡ります。ホームシックの兵士たちにとってこれらの雑誌のニーズは絶大で、やがてコストを下げるためにサイズを縮小した特別版が作られるようになりました。特別版は、ニューズウィークの場合はバトルベイビー版と呼ばれていましたが、タイムの場合はポニー版と呼ばれ、それぞれネーミングが存在していたようです。

初めはアメリカ本土で印刷されていたニューズウィークのバトルベイビー版ですが、米軍の前線が拡大するにつれ、ハワイ、オーストラリア、フィリピンのマニラと印刷所の場所も移動していきます。市街戦が行われたマニラでは稼働できる印刷所を見つけることはかなりの困難が伴ったようですが、特派員は何とか印刷所を見つけ出し雑誌の刊行にこぎつけました。このように新鮮な情報をいち早く戦地の兵士たちに届けるためには膨大な影の努力が必要だったのです。

こうして印刷された雑誌は前線に送られる配給物資の中に含まれており、時には食糧や弾薬などと一緒に飛行機から投下されていました。雑誌にはニュースだけでなく小説やマンガも含まれ、映画の情報や女優のピンナップ写真も兵士たちの心の渇きに応える重要な物資でした。前線の兵士たちは、雑誌の一文字一文字を食い入るように読んでいたと言います。

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終戦直後には東京で印刷されたニューズウィーク

やがてアメリカ軍が日本の本土に迫り、日本政府が降伏を受け入れることになると、ニューズウィークの特派員は沖縄から横浜に行き、そこから戦闘行為を停止した直後の東京に入り、印刷所を探します。彼らはどういうわけか凸版印刷の名前を知っていたようで、会社の所在を探しますが発見できません。そこで彼らは毎日新聞社に赴き、何とか印刷会社の場所を聞き出しました。こうして、日本がポツダム宣言を受諾し降伏文書に署名する9月3日よりも前に、最初のバトルベイビー版が1万部印刷されることになるのです。これは終戦後の日本で初めて出版された海外雑誌となりました。

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