教養

ローマ帝国の崩壊はむしろ幸運 ヨーロッパの発展は地域の多様性によってもたらされた

古代の歴史において、ヨーロッパからトルコ、北アフリカまで広大な地域を支配したローマ帝国は、その滅亡の謎について今日でも活発に議論されています。歴史学者のウォルター・シェイデルは新しい研究でローマ帝国が復活しなかったことは、むしろ今日のヨーロッパの発展にとって重要であったという見解を示しています。

”シェーデルは、なぜローマ帝国は二度と再建されなかったのか、その不在が近代経済の成長、産業革命、世界的な西欧の拡大にとってどれほど重要であったかについて、新しい本で論じている。”

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ローマ帝国の滅亡

地中海沿岸部を中心とする地域を支配したローマ帝国は395年に東西に分裂したのち、徐々に統一国家としての姿を失っていきます。当初は複数の皇帝の協力によってローマ帝国を支配するつもりだったようですが、結局ローマ帝国全体を率いる人物は現れず、地域ごとに支配者が治める形に変化していきます。しかしそれも長続きせず、西ローマ帝国は 476 年には滅亡してしまいます。その後、神聖ローマ帝国のようにローマ帝国の後継を名乗る国家も登場しますが、かつてのローマ帝国に及ぶことはありませんでした。もう一方の東ローマ帝国はビザンツ帝国とよばれ、1453 年にオスマン帝国の侵攻によって滅びます。

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統一国家が作られなかった要因

シェイデルによれば、ローマ帝国による支配は平和と安定をもたらしたものの、体制に反対するものは抑圧され、イノベーションが損なわれました。巨大な中央集権国家のもとでは社会は閉塞的で、強大な軍隊を維持するための経済的負担も大きく、発展の余地は少なかったと言えるのです。彼は、ローマ帝国が崩壊したのちのヨーロッパは紛争の絶えない地域になるものの、社会が断片化したことによって競争が促され、そのことが近代のヨーロッパを生み出す原動力になったと主張しています。

またシェイデルは、ヨーロッパで中国のような王朝が続かなかった理由として、ユーラシアの好戦的な遊牧民から距離が遠かったことや、巨大文明の中心となるような河川がなく、多彩な地形によって地域が小さく分割されやすい環境にあったことを挙げています。さらに中世になると、王族や貴族による支配が広がりますが、その支配がどちらかと言えば私利私欲に基づいたもので、統一国家の形成に至ることはありませんでした。

多様性が近代社会の基礎を生み出した

今日、欧米社会は政治・経済・文化の面において世界の中心的役割を果たしていますが、シェイデルはヨーロッパでこうした発展が起こったのは、他の地域のように巨大な統一国家が作られることがなく、地域の多様性が保たれたからだと考えています。小さな国家は絶えず衝突していたものの、競争の中から新しい政治制度や経済システム、人権を含む福祉などが生まれました。新しい仕組みを実験しやすい環境が存在していたのです。シェイデルの考えによれば、ローマ帝国の崩壊はむしろ幸運なできごとであったと言えるのです。

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