1918年スペイン風邪と現代のコロナウィルスに立ち向かう私たちは驚くほど似ている

1918年から1919年にかけて世界で大流行したインフルエンザはスペイン風邪という名で知られています。当時,世界人口の約27パーセントが感染し,死者数は推定で世界人口の5パーセントにあたる5,000万人から1億人,人類史上最も致命的なパンデミックの一つであると考えられています。日本でも約2300万人が感染し,約38万人が死亡しました。

スペイン風邪と呼ばれていますが,ウイルスはスペインに起源があるわけではなく,たまたまパンデミックがスペインに広がったタイミングで報道機関の注目を集めたため,スペイン風邪と呼ばれるようになります。実際にはマスコミが注目し始めた時点でウイルスはすでに世界中に蔓延していました。ウイルスの起源は現在いくつかの説があるものの断定には至っていません。

初期の失敗-フィラデルフィアの軍隊パレード

アメリカでのスペイン風邪の流行は東海岸のボストンで始まり,ニューヨーク,そして西海岸に広がっていきます。流行の初期に起こった大きな失敗として今日知られているものにフィラデルフィアの軍隊パレードがあります。スペイン風邪は1918年の前半にはアメリカで発症例が報告されていますが,その9月中旬にフィラデルフィアの軍隊の間で急速に広がり,民間人の感染者も数人出ていました。専門家はパレードの中止を提言しますが市の当局者はそれを無視し,パレードを予定通り行うことを決定します。当時は第一次世界大戦の最中で,戦争資金を調達するためにパレードを行うことは感染予防よりも優先順位が高かったのです。

こうしてリバティローンパレードは9月28日に盛大に行われます。当日,20万人の人々が沿道に立ち並び,その長さは2マイルに及びました。マーチングバンドを率いた兵士たちが通りを行進し華やかなパレードは無事に終了します。

そしてその72時間後,フィラデルフィアの31の病院のベッドは患者で満杯になります。1週間後に死者数2,600人,2週間後には4,500人以上に達しました。市は10月3日には学校,教会,劇場などほとんどの公共空間を閉鎖しますが,すでに手遅れでした。葬儀屋は需要に応えることができず,家族は自分たちで死者を埋葬せざるを得ませんでした。

各国は今日と同じような対策を行っていた

アメリカのストーニーブルック大学の特別教授であるナンシー・トームズは100年前のパンデミックを通じて当時の世界に何が起こったかを報告しています。

インフルエンザであるスペイン風邪はその当時,細菌による感染症だと考えられていました。19世紀後半にはコレラや結核,梅毒を引き起こす細菌が特定され,医学は大きな進歩を遂げていましたが,細菌よりもはるかに小さな存在であるウィルスの存在はあまり知られていませんでした。当時の技術ではウィルスを分離すること自体が困難で,現代のような抗ウイルス薬や肺炎を防ぐ抗生物質はまだありませんでした。

それでも各国政府は検疫,隔離,消毒,換気,飛沫感染の防御など今日のインフルエンザ対策と同様の感染対策を行っています。こうした対策はもともとそのころ猛威をふるっていた肺結核の対策がモデルとなっています。政府はメディアや広告などを通じて,窓を開けることや,せき,くしゃみ,嘔吐物から離れること,道具の共有を避け休養して栄養価の高い食べ物を食べることなどの予防法を世の中に広める努力をしました。1918年の時点でも人類は感染症との戦いにおいて豊富な経験を有していました。

しかしながら,そうした結核予防の対策はあまり機能していなかったようです。多くの感染者が施設に隔離されることを拒み,今まで通り家族と生活しながら職場に通勤していました。それでも国民を「注意深い人々」に教育することは一定の効果があったと考えられています。

産業化社会が病気を蔓延させる

こうした問題はスペイン風邪においても同様でした。この時代には学校教育の普及や,巨大な工場とオフィスビル,遊園地やダンスホール,映画館などの娯楽施設が登場し,それらを大量輸送網が接続していました。産業化社会は人々の移動を増大させ,公共空間を通じた病気の蔓延はすでに防疫上の大きな課題となっていました。

アメリカでスペイン風邪が広がると,学校の閉鎖や集会の禁止などの措置がとられます。多くの親は子どもを家に残したまま職場に出かけざるを得ませんでした。学校の閉鎖はおよそ15週間に渡って続くことになります。

しかし,経済の中心であり多くの人口を抱えるニューヨークでそれらを実施することは困難でした。結果的に企業に対し営業時間をずらすように要請することで,ストリートや地下鉄の混雑を最小化しようとしました。

一方でそれ以外の州では公共の場が次々と閉鎖されます。そして現代のコロナ騒動と同じように,大きなパニックと不安,そして地元住民の反発に直面します。公衆衛生当局はパニックになった市民に対し「一般的な風邪とインフルエンザを混同せず,冷静な対応を」と注意を促さなければなりませんでした。

また州政府が打ち出すちぐはぐな公共空間の閉鎖方針が住民の激しい怒りを買った点も現代のコロナウイルス騒動とよく似ています。

ニューオーリンズでは教会が閉鎖された一方で店舗は閉鎖されなかったため,カトリック教会の司祭が激しく抗議しました。また多くの都市では映画館などの劇場が閉鎖され,劇場のオーナーたちは「なぜデパートやレストランは営業しているのに私たちだけが閉鎖しなければならないのか。」と不満を述べました。パンデミックの間,劇場のオーナーは収入の半分以上を失い,大きな経済的打撃を被ることになります。それだけでなく,プロスポーツの試合や高校・大学のスポーツ大会も中止や延期を余儀なくされました。

それにも関わらず,こうした手法はパンデミックを防ぐ上で社会の犠牲に見合うほどの効果はなかったと考えられています。結局,都市に住む人々の経済活動を止めることができない以上,その対策も防疫上の効果も限定的なものにならざるを得なかったのです。

デキる男はハンカチで口を覆う

1918年,スペイン風邪の恐怖が人々をパニックに陥れる中,一般社会に初めて普及したものがガーゼマスクです。公衆の場でせみ,くしゃみによる飛沫感染を防ぐためにマスクを着用することは今日でも重要な感染予防法となっています。それ以前にもマスクは病院の手術室で使用されていましたが,公衆の場でマスクを着用することは一般的ではありませんでした。各州政府は住民に対してマスク着用を要請し,インフルエンザが収束し始め,集会禁止を解除することになったときにも人々にマスクの着用を条件としました。

政府による広報活動の結果,人前でマスクをつける行為はその人が公共の精神と規律を尊重する人物であることを周囲に示す意味を持つようになり,市民の間で人気を得ることになります。サンフランシスコでは公共の場におけるマスク着用が義務化され,違反者は罰金刑を課されました。

ガーゼマスクと同時に推奨されたのがハンカチです。ガーゼマスクは比較的高価な品物であったため,政府は広報活動を通じてせきやくしゃみをするときにハンカチを口にあてるように市民に促します。そのターゲットは特に男性で,いわゆるイケメン男子が口元にハンカチをあてるポスターが登場し,それと同時にハンカチを使わずにくしゃみをするマナーの悪い男性を非難する広告も登場します。ハンカチを使うことは愛国心と公共の精神を持つ紳士のたしなみだったのです。

その一方でマスクを着用したところで細菌はマスクを簡単に通り抜けてしまうのだから無意味である,という批判は当時からありました。実際,スペイン風邪においてマスク着用の普及がパンデミックを防ぐ上で効果的であったという強い証拠はありません。ただその当時,アメリカの貧困世帯にとってマスクはおろかハンカチでさえ手軽に手に入るものではなく,街を見渡せばあらゆる人がマスクをしている現代とは状況が違ったと言えます。その当時においても経済格差は防疫上の大きな壁でした。

しかしながら,インフルエンザの流行は人種間の違いはありませんでした。パンデミックの猛威は人種間の格差を覆い隠すほど熾烈なものだったのです。

最も重要な手だては患者を隔離すること

パンデミックから数年後,専門家たちは飛沫感染を防ぐ方針に意味があったことを確認しますが,同時に都市をコントロールすることの難しさにも直面しました。

1925年に細菌・公衆衛生学者のエドウィン・O・ジョーダンは「おそらく最も明らかな効果があると言える防御の方法は特定の手順による検疫と隔離である。」と述べています。

スペイン風邪には流行のピークが3回ありました。最も死者を出したのは2回目の流行のときで,1919年の3回目の流行では死者数は減少しました。人類はスペイン風邪に対する効果的な対策を打ち出せないままパンデミックは突然終結を迎えます。

その理由ははっきりとはしていませんが,ウイルスが突然変異を起こして致死性の低いウイルスに変化したからではないかと考えられています。これは一般的なインフルエンザウイルスでもよくあることです。致死性の高いウイルスは感染した宿主をすぐに殺してしまうので次の人間に感染するまでの時間的余裕に乏しく,感染が広がりにくい傾向があります。また,一度目のパンデミックで感染したものの幸い生き残った人々が,その際に免疫を獲得したことが死者の減少に貢献しました。スペイン風邪は一般的なインフルエンザに比べはるかに高い死亡率を記録しましたが,それでもその死亡率は20パーセントほどだったと考えられています。多くの人々が生き残り,たとえ二度目の感染を経験しても軽症で済んだようです。

また,スペイン風邪は35歳以下の若者の犠牲者が多かった点でも特徴的です。若者は過去のインフルエンザ流行を経験していなかったため,免疫を持たなかったことがその理由だと考えられています。

現代につながるスペイン風邪の教訓

こうしてスペイン風邪は無事に収束することになるのですが,おそらくそれは人間の努力とほとんど無関係だったと言えます。

100年前のパンデミックを振り返ると現代の私たちが直面している困難ととても良く似ている面が多くありますが,公衆衛生に対する政府の対応や,メディアを通じた一般市民への注意喚起のスピードは当時とはかなり違うことも分かります。

スペイン風邪の経験はその後の公衆衛生の普及に大きな影響を与えました。その当時十分効果を発揮したとは言えない感染対策が現代の私たちにとって意味があるかどうか,その判断はコロナウィルスが収束したあとにしか判断できないのかもしれません。