日本は長寿企業の宝庫 なぜそれらが消えつつあるのか?

日本には世界で類を見ないほど長い期間に渡って経営されている企業が数多くあります。それらの企業のうち長いものは1000年以上に及ぶと言われています。日本においてこのような長寿企業が存在するにはいくつか要因があると考えられています。しかしながら、それらの企業は日本の社会構造の変化の中で徐々に消えつつあるのです。

”こうした長寿は東アジアに限ったものではないが、これらのセコイアの木のような会社は日本では比較的一般的である。日本は現在設立100年を超える企業が5万社以上ある。そのうち3886社はおよそ設立200年以上である。その点について比べてみると、アメリカ合衆国労働統計局によれば、1994年に設立されたアメリカ企業のうち4つに1つだけが2004年においても経営している。(上智大)”

不変のニーズをつかむことが企業を永続させる

日本の有名な長寿企業として寺社建築を請け負う金剛組があります。創業は西暦578年と言われており、聖徳太子の時代にまでさかのぼります。

金剛組が極めて長期に渡って存続した理由は、端的に言えば顧客のニーズが途切れることのないものを扱っていたからです。日本において神道や仏教などの宗教は途切れることなく存在し続けており、またそれらの寺院は木造であるため定期的に建て替えるなどの工事を必要とします。時代が変わっても流行や人々のライフスタイルに影響されることなく必要とされ続けるものを生産すること、それが企業を永続させる条件です。どんな企業でも長寿企業になれるわけではなく、時代が変わっても必要とされ続ける、不変のニーズを抑えた企業であれば長寿企業になる可能性が高いのです。

現代とは過去の1000年とは決定的に異なるもの

しかし、金剛組は2005年に髙松建設の子会社となることにより事実上消滅しました。戦後、寺社建築においても鉄筋コンクリート造が普及することにより需要が減り経営が破綻したのです。千年以上に渡って存在し続けた企業も、戦後の日本社会の根本的な変化には対応できませんでした。

同様のケースにかまぼこなどの製造を行う美濃屋吉兵衛商店があります。創業は戦国時代と言われ450年以上の歴史を持ちます。美濃屋吉兵衛商店は2015年に民事再生法の申請を行い事実上の破綻状態となりました(その後事業を譲渡した)。

美濃屋吉兵衛商店もまた食品というニーズが途切れることのないものを扱っていました。しかし戦後の日本人の食生活の欧米化という変化の中で彼らが扱っていた商品は次第に不要なものになっていったのです。

これらの事例を振り返ると、長寿企業が存在する背景には数百年あるいは千年以上に渡って消えることのない不変のニーズが社会の中に存在していて、そのニーズを抑えた企業が長寿企業になり得ることが分かります。そしてまた、こうしたニーズが戦後の社会において大きく変化したがゆえに長寿企業が消えつつあることも分かるのです。

企業倒産を防ぐ日本独特の仕組み

とは言え、企業が長く存続するためには経営の譲渡が成功する必要があります。日本の企業は家族経営が多く、基本的には経営者の実子(特に長男)が経営を引き継ぐ仕組みです。しかし血縁による事業の継承だけで経営を安定させることは実際には不可能です。遺伝学的に考慮すれば立派な親の遺伝子を引き継いでいるという理由だけでその子どもも立派になると断定することはまったく不可能です。なぜなら、その人が立派になるかどうかは遺伝子の問題というより環境因子の問題だからです。経営者の長男に事業を引き継がせるべきという社会通念を真に受けようものなら企業の永続は不可能になります。

そこで日本の経営者には別の選択肢が与えられることになります。それは養子です。例えば婿養子のような形で実子以外の人物を後継者に据え置くことで社会通念と現実の乖離をうまく回避してきたのです。

また戦後社会においては銀行の支援が企業倒産を回避する上で役割を果たしてきました。例え時代に合わない企業であっても長寿であるという理由だけで銀行は安易にこれらの企業を資金面で支えてきたのです。しかし、その支援は上に述べた企業において結局無駄に終わることになります。

銀行の安易な支援はバブル崩壊を期に変化した

日本のバブル経済が終焉したあと、銀行の企業に対する安易な資金提供はたびたび問題視されるようになります。2000年以降に入ると徐々に再建の見込みのない企業に対する資金提供が控えられるようになります。金剛組や美濃屋吉兵衛商店はそうした銀行の態度の変化の犠牲者であると考えることもできるかもしれません。

しかしながら、金融を巡る世界情勢が変化していくなかで銀行自体の存在価値が問われるようになり多くの地方銀行の経営が行き詰っている現状から言えば、消費者から必要とされていない企業を支援することが本当に社会全体にとって有益であるかどうかは慎重に検討する必要があるでしょう。銀行が企業を支援するとき、その原資は預金者が預けた貯金と銀行が購入した国債によるものです。銀行が見返りのない事業に資金供給することは、私たちが銀行に預けた貯金の利息の減少や、国債の返済のために支払う税金の増加という形で私たちに影響を及ぼすのです。銀行による資金供給は善でも悪でもなく、そのバランスを考慮することが大切でしょう。

長寿企業が長寿になったのは不変のニーズを掌握したからこそです。逆に言えば、私たちの社会とは数百年から千年以上に渡って変化しなかったニーズが消えてなくなるような大きな変化の中にあるとも言えるでしょう。現代社会はかつて存在した不変のニーズを想定することがますます困難な時代です。こうした状況において、私たちは企業というものの存在を安定したものとしてではなくもっとフレキシブルな存在として捉えなおす必要があるのかもしれません。