コロンブスの墓はどこにあるのか? DNAが謎を解き明かす

クリストファー・コロンブスと言えばアメリカ大陸の発見者として記憶している人も多いでしょう。ところが近年、この「アメリカ大陸の発見者」という呼び名は不適切であるという認識が広がり、現在の社会の教科書ではコロンブスは「大西洋を横断してアメリカ大陸に到着する航路を発見した人物」という表現で紹介されることになっています。詳しい話は後回しにするとして、実はコロンブスは分かっていないことがたくさんあります。彼はヨーロッパ人ではあるものの、出身地や民族についてはっきりしたことは分かっていません。残された肖像画も本物かどうか怪しげで、その上彼が死んだあとどこに埋葬されたかについても長年議論の対象となってきました。

そこで研究者たちは遺伝子を用いてコロンブスの埋葬地を突き止めることにしました。

”彼の埋葬場所ですら論争の対象である。ドミニカ共和国とスペインは共に1506年5月に死亡したコロンブスの埋葬地について主張している。イタリア、アメリカ、ドイツを含むスペインが率いる調査チームはコロンブスの兄弟と息子のものとして知られる墓からDNAを採取し、それらをスペインのセビリアのコロンブスのものと思われる断片と比較した。公式発表は今年の後半に予想されるが、イタリア人の研究者たちは、これまで集められた証拠に基づいて、セビリアのコロンブスのものと思われる墓が本物であると確信していると述べている。”

おそらくコロンブスはアメリカ大陸の発見者ではない

アメリカ大陸は長い間、ユーラシアを中心とする他の大陸から切り離された存在として独自の発展を遂げてきました。そもそもコロンブスがアメリカ大陸に到達して時点で、そこには長年アメリカ大陸で暮らしてきた大勢の人々がいました。彼らはおよそ1万6千年前に氷河期で陸続きになっていたベーリング海峡を渡り、現在のロシアからアラスカに移動した人々であると考えられています。そして彼らはマヤ文明などに代表されるようにかなり高度な文明を築いていました。

これまで、コロンブスがアメリカ大陸を訪れる以前に、アメリカ大陸とその他の大陸の間で人間同士が行き来することはなかったと考えられてきました。しかし今日では、太平洋諸島とアメリカ大陸との間の交流がわずかながら存在し、また北極圏のイヌイットの人々がベーリング海峡を越えてユーラシア大陸と北アメリカ大陸の間を絶えず移動していたのではないかと考えられるようになっています。私たちがかつて教科書で学んだものとはまったく異なった交易のルートが存在していた可能性が高いのです。

カナダのニューファンドランド島にあるランス・オ・メドーは10世紀から11世紀にかけてヨーロッパ人がアメリカ大陸に居住していたことを示す貴重な遺跡である。

おそらくコロンブスはアメリカ大陸に到達した最初のヨーロッパ人ですらありません。彼がアメリカに到達するよりずっと前に、ヴァイキングの人々がカナダのニューファンドランド島に植民していたことが遺跡の発見により明らかとなっています。彼らはヨーロッパからアイスランドに渡り、そこからグリーンランドの入植地を経てアメリカ大陸に到達したと考えられています。日本で用いられている世界地図は大西洋を左右に区切って地図の両側に配置しているので、日本人にとってはこれらの位置関係は分かりにくいものかもしれません。またメルカルト図法の地図は北に行くほど東西の距離が拡大して表示されるため、それぞれの地点の距離感が狂う原因になります。ヨーロッパ、アイスランド、グリーンランド、カナダの正確な距離感をつかみたいならば、地球儀かグーグルアースという便利な道具を用いるとよいでしょう。これらを実際の地形に基づいて見たとき、私たちが思っているよりはるかに近い位置に存在していることが分かるはずです。

しかしながら、ヴァイキングによるアメリカ大陸への移住はやがて失敗します。カナダのニューファンドランド島への移住は極めて短期間しか持続せず、グリーンランドへの移住もおそらく移住者の絶滅によって失敗したと考えられています。その理由は明らかにはなっていませんが、過酷な自然環境の中で生き残れなかったか、そもそもその場所には先住民の人々が存在していたため、彼らによって滅ぼされたのではないかと推測されています。

これらの新しい発見によって、コロンブスをアメリカ大陸の発見者と呼称するのはおかしいという声が広がることになります。こうした見方はヨーロッパ人中心の歴史観に基づくものであって、偏った価値観であるという批判されるようになります。こうして、現在ではコロンブスをアメリカ大陸の発見者と呼ぶことなくなったのです。

結局コロンブスはどこに埋葬されたのか

スペインのセビーリャにある大聖堂にはコロンブスの墓所がある。

研究者によると、コロンブスはイタリアのセビーリャに埋葬された可能性が高いと考えられています。また、実際にはコロンブスの死後にその骨は色々な場所に分散して葬られたのではないかと推測する人もいます。つまり本人の死後にその墓が何度も移されたのです。その一つは、コロンブスが最初に到達した西インド諸島のドミニカ共和国です。しかし、ドミニカ共和国は墓所の調査を認めていないため、そこに埋葬されているのが本当にコロンブス本人なのかは判明していません。

また、コロンブスはスペインの支援により大西洋横断の航海を実現しましたが、彼の出身についてははっきりしていません。DNAの調査は、コロンブスがスペインのカタルーニャ地方の出身である可能性が高いことを示していますが、なぜ彼が政府の資金援助を受けて無謀とも言える大航海を行うことができたのかは歴史の謎として残されています。

歴史上の人物として有名なコロンブスですが、彼の人生にはまだ解き明かされていない部分がいくつか残っているのです。