鏡はなぜ左右が逆であって上下反対ではないのか? 本当はどちらでもない

鏡の前に立って自分の姿を映したとき、あなたの目には鏡の向こう側にいる自分が左右反対になっているように見えます。しかし、なぜ鏡は左右反対であって上下反対ではないのか不思議に思うかもしれません。その理由を解き明かすためには、人間の認知のクセについて理解する必要があります。

回転を想像すると左右反対に見える

あなたが鏡の前の自分を見たとき、なぜ左右反対だと思うのでしょうか。例えばあなたともう一人がどちらも右手にリンゴを持って向かい合って立つとします。そのとき相手のリンゴはあなたから見て左側にあります。だからと言ってあなたは相手が左手でリンゴを持っているとは思わないでしょう。【図1】のように、あなたはぐるりと180度回転することを想像して、向かい合った人間があなたから見て左右反対になることを知っているからです。この知識をもとにあなたは鏡に映っている自分が左手でリンゴを持っていると考えるのです。

だとすれば鏡はやはり左右反対に映るものなのでしょうか。実はそうではありません。今度は回転する向きを【図2】のようにしてみましょう。そうすると向かい合った人間は上下反対になります。そして逆立ちした人間を上下反対にすれば、鏡に映っている姿と一致します。つまり、鏡は上下反対に映っていると言うこともできるのです。

実際には前後が反対になっている

しかし左右反対と上下反対のどちらでも成り立つと言われても納得できないでしょう。実際のところ鏡の向こうの世界はどのように映っているのでしょうか。

ここで【図3】のように数学の空間座標を用いて考えてみましょう。例えば右手に持ったリンゴの座標が(x,y,z)=(10,-5,7)にあるとします。このとき鏡の向こうでは(10,5,7)の位置にリンゴが存在します。x座標とz座標は同じでy座標だけが符号が反対になっています。これをx軸対称と言います。

数学的に説明すればこのようになりますが、もっと分かりやすく言えば前後が入れ替わっているということです。つまり、鏡に映ったあなたは左右反対でも上下反対でもなく前後が反対になっているのです。

経験にもとづいて左右が反対だと認識する

答えは分かりましたが、そう言われてもあなたは鏡に映った自分を相変わらず左右反対として認識しているはずです。理屈が分かっても言われている通りに見えないのは人間の脳の仕組みが関係しています。

私たちは自分が生まれてから経験した知識をもとに目の前の状況を判断します。経験していないことを想像するのは苦手です。先に3つの図を用いて説明しましたが、私たちが実際に経験している可能性が高いのは【図1】だけです。

筆者自身の経験について述べましょう。私は左利きの人間です。生まれたときから左手で物を持つことが自然なのでお箸も左手で持っていました。しかし母親は私を右手に矯正すべきだと思っていました。食事のとき私が左手でお箸を持っていると、テーブルの向かい側に座っている母親が「持っている手が反対だ。」と自分が持っている箸を見せながら指摘しました。しかしそのとき私は「同じ向きで持っているじゃないか。」と反論しました。私が3歳のころの話ですが、向かい合っている人間では左右の位置関係が反対になるということを理解するまでしばらく時間がかかったことを覚えています。

このように人間は生まれながらにして向かい合った人間の左右の位置関係が反対になることを知っているわけではありません。それは経験から得られた知識なのです。そして一度その知識にもとづいて世界を見るようになると今度はそれ以外の見方ができなくなっていきます。

私たちは【図1】で示したような向きでの回転は簡単に想像できますが、【図2】のような向きの回転は通常ではありえないことで滑稽に思えるかもしれません。ましてや【図3】は言ってみれば回れ右をせずに顔面と後頭部を入れ替えたようなものですから、なおさら想像できません。鏡の向こうの世界は現実にはあり得ない世界なのです。

経験にもとづいて見えるものが正しいとは限らない

私たちの脳はこれまで述べたいくつかの解釈のうちもっとも自分の経験に近いものを選ぼうとします。そのため他にいくつもの見方があっても私たちは鏡に映った自分を左右反対だと解釈するのです。

鏡に映った姿は正しくは回転することなく顔面と後頭部、おなかと背中を入れ替えたものであり現実には決して存在しないものと言えます。鏡は私たちの生活にとても身近なものですが、実際毎日のように自分の目で見ているものでさえ人間は正しく解釈しているわけではなく経験と主観にもとづいて誤ったものの見方をしていることを教えてくれます。経験にとらわれず客観的な観察を用いて当たり前のことを丁寧に見直すことが大切なのです。