教養

20世紀最大の強奪美術品を受け継いだ男 コルネリウス・グルリットの数奇な人生

頭の切れる泥棒が名のある美術館から絵画を盗み出す。小説やアニメにありそうなストーリーですが、現実世界でもしばしばこうした事件は起こっています。

20世紀において美術品を最も多く強奪したのはナチスです。ナチス政権は軍事力で支配地域を広げながら、ヨーロッパ中の美術品を強奪しました。その後、ナチスの崩壊とともにそれらの美術品の多くは行方不明となってしまい、永遠に失われてしまったと考えられていました。しかし2012 年、それらの失われたはずの美術品がある男の住居から大量に発見されることになります。

彼の名はコルネリウス・グルリット。彼はナチスに協力した父親から莫大な数の美術品を密かに引き継いでいました。

”警察の捜査官はグルリットがこれまで働いたり年金を受給した記録がまったくないのに、彼が非常に豪華な住居に住んでいることを発見すると即座に彼に興味を抱くようになった。しかし、彼らはグルリットが盗まれた美術品のコレクションを所有していることを聞いてはじめて警察は 2012 年の 2 月 28 日に彼の住居に入ることを決めた。そしてそこで彼らは信じられない数の美術品のコレクションを発見した。それにはピカソやマティス、ルノアールなど合計で 10 億ドルをはるかに超える価値があるとみられる品々が含まれていた。(南山大)”

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謎解きは夜行電車で始まった

ミュンヘンにあるグルリットのアパートにはナチスによって奪われた多くの美術品が保管されていた。

コルネリウス・グルリットが警察の捜査線上に浮上したのはまったくの偶然でした。2010 年、チューリッヒからミュンヘンへ向かう夜行列車の中でのこと。税関職員が身なりのしっかりしたある高齢の男性に国境を越える理由を聞いたところ、その男性は突然挙動不審な態度で質問に答え始めました。男の名はコルネリウス・グルリット。1932 年ハンブルグに生まれ、オーストリアのパスポートを所持していました。彼は、自分がスイスのベルンの美術ギャラリーでの仕事から帰郷している途中であると説明しました。また、彼はそのとき 9000 ユーロ(日本円でおよそ 110 万円ほど)の現金を所持していました。現金自体は違法なものではなかったのですが、職員はそのときの彼の様子があまりにおかしかったために、グルリットについて調査を開始します。最終的に警察が彼のアパートに踏み込むと、部屋から膨大な数の盗まれた美術品が発見されました。

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父親から美術品を引き継いだコルネリウス

これらの美術品はグルリット本人が集めたものではありません。大量の美術品を集めた人物は彼の父親、ヒルデブランド・グルリットでした。第二次世界大戦当時、グルリットの父親は主に避難のために住居を抜け出したユダヤ人の家から美術品を盗んだり、外国に逃れようとするユダヤ人から安い値段で美術品を買い取ったりしていました。こうして手に入れた美術品を売り払うことで巨万の富を手にしていたのです。そしてナチス政権下において強奪された美術品はアメリカやヨーロッパ各地でオークションされ、その売り上げがナチスの重要な資金源となっていました。

また、それらの美術品はヒトラー個人にとっても意味のあるものでした。若きころ芸術家を目指していたヒトラーですが、彼は近代的な抽象絵画を嫌悪しており、彼の気に入らない絵画は火に焼かれてしまいました。その一方で、ヒトラーはオーストリアのリンツに美術館を建設しようとし、莫大な数の美術品をかき集めていました(この計画は結局実現しませんでした)。

グルリットの父がナチスに譲り渡した美術品の数は 65 万点に上るとみられます。ナチスはヨーロッパの美術品のおよそ5分の1を強奪したと言われており、グルリットの父はその重要な協力者の一人でした。一方で、グルリットの父はすべての美術品を譲り渡していたわけでなく、いくらかは自分の手元に残していました。

戦争が終わるとヒルデブランド・グルリットは逮捕されます。しかし彼は法廷でそれらの美術品は正当な取引によって手に入れたものであると主張し、結局裁判官もそれが違法であることを立証できず彼は釈放されます。もちろん彼の主張はまったくの嘘であって、それらの美術品が本当は盗んだものであり、ましてや彼が所有する美術品の存在が暴かれることもありませんでした。

戦後ヒトラーとナチス政権によって行われた 20 世紀最大の美術品盗難の後始末は非常に困難を極めることになります。そもそも強奪された美術品が一体いくつあるのか、その持ち主が誰なのかを特定することが困難である上、その美術品を元の持ち主(あるいは遺族)に返還する上でも、美術品を買い取ったコレクターの同意を得ることはなおさら困難です。こうした煩雑な法的手続きが美術品の返還の大きな障壁となったのです。

1956 年にヒルデブランドが死去すると、その美術品は妻によって管理され、その妻が死去すると今度はコルネリウスが引き継ぐことになりました。

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加害者か被害者か?-コルネリウスの数奇な人生

2012 年に事件が発覚したあと、コルネリウスは 2014 年に死去しました。盗難について、ドイツの法律では 30 年が時効とされているため、警察は彼を有罪にすることができませんでした。また盗まれた美術品も、もともとの持ち主が誰であったかを確認することももはや不可能に近く、最終的に美術館に寄贈することによって解決することになります。

否応なく美術品を引き継ぐことなったコルネリウスに罪がないと言えるでしょうか。現代的価値観から言えばコルネリウスの行ったことには問題点があります。彼は遅くとも父と母が死亡した時点で隠された美術品の存在を明らかにし、もとの持ち主に返却すべきでした。恐らく、コルネリウスは自身が共犯者にされることを恐れて事実を隠し通そうとしたのでしょうが、結果的にその行為が彼の人生を死の直前まで束縛することになります。

彼が犯罪者なのか被害者なのかを断定することは単純に決めることができないかもしれません。しかし、彼の人生は、戦争はその子孫の人生に大きな影響を与えることを示唆しているのです。

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